元広島カープのエースで、メジャーリーグのLAドジャースからの移籍先を探していた黒田投手。NYヤンキース入りが確定したという報道。

広島から巣立ったエースが、メジャーリーグという大舞台に挑戦して、そして自らの努力で結果を残し、ヤンキースという名門から声がかかるまでになった・・・これはファンとしては大いに喜ぶべきことであります。しかし・・・。今年は広島カープに戻ってきて、今年こそは広島を優勝jへと導いてくれるリーダーになってくれると信じていただけに、ちょっとばかり残念な気持ちがないわけではありません。

私が愛する広島カープは、もうかれこれ20年も優勝していない。まだ歴史の浅い楽天イーグルスを除けば、一番優勝から遠のいてしまっているチームなのです。「黒田が帰ってくれば・・・」と、淡い期待をしてしまうのも無理がないというものでしょう。


私が子どもの頃、少年たちの放課後といえば草野球というのが当たり前の日常でした。当時は肥満体系で運動はまったくの苦手だった私も、皆の足手まといになりながらも、毎日白球を追いかけたものです。

おそらく自分の個性みたいなものが強くなってくる時期、小学校の3〜4年くらいの頃、私は広島カープのファンになりました。昭和50年、広島カープがセリーグを制し「赤ヘル旋風」と呼ばれた年のことです。まわりの友達は圧倒的に巨人ファンが多かったのですが、私は父がヤクルトスワローズのファンだったこともあって「アンチ巨人」の下地は十分に持っていたのでしょう。そこへきて「赤ヘル旋風」です。

私は「C」のマークの入った真っ赤な広島カープの野球帽を買ってもらい、それを被って毎日学校へと登校していったのです。かくして、長野県の真ん中に住んでいながらも遠く離れた地の広島カープを熱狂的に愛する少年が誕生したのでした。

放課後になると私たちはランドセルの中に隠してあって「マイユニフォーム」を取り出して、それに颯爽と袖を通しました。何てことはない、白いTシャツに自分たちでマジックで「CARP」とか「TIGERS」だとかを書いて、そして背中にお気に入りの選手の背番号を書き込んだだけのものです。私の「マイユニフォーム」の背番号は「8」。山本浩二の「8」でした。

広島カープを愛し、たくさんの選手の熱いプレーに見入ってきました。
山本浩二の華麗なホームラン。
鉄人・衣笠の連続試合出場。
伝説になった江夏の21球。
そして若くしてこの世を去った「炎のストッパー」津田の剛球。

でも、ちょっとばかり昔のような「広島熱」にうなされなくなったのは、「FA制度」によって広島の中心選手が他のチームに行って活躍することが多くなってしまったからでしょうか。
巨人のコーチになった川口投手や江藤選手。そして阪神でも活躍している金本選手や新井選手。生え抜きの選手たちがチームを離れていってしまうのは、やはり寂しいものであります。

月日は流れ、広島カープの監督は何と私と同じ年の野村謙二郎さんの時代となりました(!)。かつては年上のスター選手に憧れたものですが、今や自分より年上の選手はもういないのです。それでも「孤高のサムライ」と評される前田智徳選手のような選手がいる間は、広島カープのファンをやめるワケにはいきません!

黒田投手も、「日本球界に復帰するなら広島で」と公言している選手。私が黒田というピッチャーに心酔するのは、前田智徳選手同様にサムライの匂いを感じるからに他なりません。前田選手も出場機会が年々減ってきているだけに、前田+黒田という黄金のタッグが見られるチャンスはそんなにたくさんないと思われます。そういう意味でも、今年は広島でプレーして欲しかったのですが・・・

しかし、黒田が選んだ道であれば、これは心から応援しましょう。
私がニューヨーク・ヤンキースのファンになる時が来るなんて思いもしませんでしたが、今年は広島カープ同様にNYヤンキースを応援しますヨ!

がんばれ、KURO!!!